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祖父と私と中國

道見朱夏

 今年、私は二十歳の誕生日を迎えました。先日、伯母に誘われ、二人でお酒を飲みながら私の二十歳の誕生日お祝いをしました。その時、私はずっと気になっていた祖父の生い立ちについて伯母に質問しました。私の祖父は中國殘留孤児でした。私は今まで祖父の生い立ちを母から教えてもらったことがありませんでしたし、自ら聞いたこともありませんでした。だから、私は祖父が殘留孤児であったということ以外に何も知りませんでした。祖父がなぜ殘留孤児になったのか、中國ではどうやって生きてきたのか、ずっと気になってはいたものの、聞く機會もなく二十年が過ぎ、やっと伯母から祖父の話を聞くことができました。

 祖父は北海道に生まれ、兄弟の中で祖父のみが養子に出されました。そして、養子になった先の両親とともに満州開発のために中國へ渡り、殘留孤児となりました。殘留孤児となった祖父は、中國の東北地方の凍える寒さの中、外の小屋で寢させられたり、空腹に苦しんだり、日本人だからという理由でいじめられたりと、今の私たちの暮らしからは信じがたいような大変な苦労をしました。しばらくして、祖父は教師をする中國人の夫婦に世話になるようになりました。その夫婦は、日本人の祖父に対してとてもよくしてくれ、祖父はその夫婦に大変感謝していました。祖父はよく勉強する子で、中國で大學進學するほどの秀才でした。祖父は、村の學校の校長を務め、村の人々から尊敬されるような人でした。字もうまく、手先も器用なので、村の人々は度々祖父を頼って來ました。祖父は日本人ながら、周囲の人間に尊敬され、信頼される人だったそうです。

 伯母が祖父から孤児だった頃の話を聞くと、祖父は決まって泣きながら話してくれたそうです。私は伯母から祖父の話を聞いた時、泣いてしまいました。祖父がこんな苦労をしてきたことを、二十歳になる今まで何も知らなかったことに後悔しました。そして、大學生になり、甘えた生活を送っている自分が恥ずかしくなりました。苦しい大學受験を乗り越え、大學に入ってからは、勉強はほどほどに遊びやアルバイトばかりをしていました。しかし、こんな立派な祖父の孫として生まれたのに、自分に甘えていてはいけないと気づきました。現在、私は大學で中國語を勉強しています。中國語を話す祖父母と母は私に中國語を教えようと、中國語で話したそうですが、幼い私は中國語を學ぶことを拒否したそうです。そのことを今となっては後悔しています。しかし、大學に入ってから中國語を學び始め、中國語の魅力に気づくことができたので良かったと思っています。そして、私は今年の秋から半年間中國に留學します。留學では中國語をしっかり勉強し、中國文化にもたくさん觸れ、悔いのない有意義な留學にしようと思います。また、留學終了後に、成人式の振袖姿を祖父母に見せに行く時に祖父母と中國語でたくさん會話をすることを目標に頑張りたいと思います。

人民中國インターネット版

 

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